「価値」を教える、教わる(携帯電話にまつわるエピソード)
こんにちは。
今朝、がんと付き合いながら生活をしている友人(1度しかあったことない)のブログを読んで、
あー隔離期間とは言え、この生活はまずいな…
と思った今日この頃です。
前回、前々回の記事も読んでみてください。
今回は、大学、社会人編を書こうと思っていたら、脱線したのでテーマ変えました。
とまあ、こんな感じで、
まとめるとちいさいころは、いろいろ抑圧されていましたが、
高校あたりから、自分のやりたいこと、興味のある分野も持てたという感じですね。
皆さんは携帯電話、いつ頃から持ち始めましたか?
小学生?中学生?高校生?
私の世代は、中学生くらいが大半でしたね。
私の場合は特殊で、
中1の時に買ってもらいました…が…
すぐに没収されました。
理由は、モバゲーをやっていたからです。
懐かしい響きですね。モバゲー
当時は大ブームでした。
男の子はみんなモバゲーやりたくて携帯ほしかったのではないでしょうか。
実家暮らし、平日は学校、母は専業主婦
こんなガキに親との通話などいらないですよね。
友人とのメールのやり取りやモバゲーが当時の流行の最先端でした。
しかし、親は、そのようなSNSは子供には必要ないとの考えで、パケ放題をつけてくれませんでした。
その結果、携帯料金がすごいことになるんですよね。
結果、没収されるわけです。(やるなというのは生き地獄ですよ)
没収されると、モバゲーはおろか、友人との連絡もできなくなるんですよね。
携帯がないと、なかなか友人から遊ぶ約束の連絡が来ません。
悲しいですよね。
子供はそんなもんです。
結果、どうなったかというと~
中間考査、期末考査で5科目平均90点取ったら、次のテストまで携帯使えますよ
という契約。
当時の私は、大の数学不得意生徒でした。
80点取れたらGOOD!!!
という感じ
ということは、万が一数学80点でも
ほかの4教科平均93点取らないといけないということです。
まあ、絶対というわけではありませんが、無理です。
毎日部活はあるし、そもそも数学70点だったらそれでおしまい。
人には得意不得意がありますよね。
仕方ないと思います。
でも、このシステムはあまりに無理すぎます。
結果、やっても意味ないや…という感じになりました。
行動経済学ですよね。まさしく。
高校のため、将来のため、学ぶことへの興味関心などではなく、
勉強=携帯
になってしまったのです。
その、携帯という目標が無理だなと感じた当時の私は
勉強しなくなりました・・・・・
しょうがないですよ。
勉強しなかったのは私ですが、あまりにもやり方が悪すぎる。
この件以外でも、長男の私はいろいろ両親の実験台でしたね。
私にはしたのに、弟にはしないということは多くありました。
今回のテーマの「価値」
ですが、私にとっての携帯の価値は
「友人とのメール、SNSの共通話題」
という部分に見出しています。
一方、両親のにとっての携帯の価値とは
「離れていても、緊急の時でもすぐに連絡ができる」
という部分だと思います。
結果論かもしれませんが、中学時代の友人とは連絡が取れません。
連絡先がありません。
また、勉強の楽しさ?やり方?
は全くわからないまま高校へ進学しました。
義務教育期間に身につかなかった勉強の習慣は
高校になって急激に改善されるものではありませんでした。
私は、「皆に比べ何か秀でているといった価値」の創出は難しくなった今、
「皆がやっていないという価値」を創出しなければと日々思います。
台湾にやってきたのも、こういう部分か大きいのかなと思います。
皆さんも、携帯電話を持ち始めた時期、その時の境遇
ぜひ教えてください!
では。