コロナ禍ですが脱サラして台湾へ

東証一部上場企業を退職し、台湾へ進出!生活や仕事についてのんびり書きます。

私の性格の変遷(中学生~高校生)

ご無沙汰してます。

今夜は、私の中学生~高校生を振り返ります。

 

前回記事を読んでいない方はぜひ!

私の幼少期も見てみてください。

 

dafu-gogo-tw.hatenablog.com

最近更新していなかったのはほかでもありません。

 

完全に堕落してました。

 

朝遅く起きて、ご飯食べて、 昼寝して、ご飯食べて…

 

隔離もあと半分です。頑張りましょう。

 

 

 

前回の続きになりますが、中学生編です。

 

私の地元は埼玉ですが田舎のほうなので、幼稚園で一緒だった友達が、小学校では別れて、中学でまた再会するという感じです。

 

そのため、小学校でのいじめは中学に入るとそこまで問題にはなりませんでした。

 

ここから、いろんな人との交流を心掛けるようになりました。

 

中学の時代の最大のイベントは英語です。

 

小学生の時に、いつの間にか通うことになった公文式ですが、

 

はじめは算数のみの履修でしたが、ある時、ほかの科目お試し期間がありました。

 

私は、英語をやってみたくて、2週間英語を履修しました。

 

公文の英語は、筆記のページをやった後に、CDを聞きながら音読をします。

 

2週間のお試し期間が終わった後、なぜか英語を続けたくて、公文から家に電話しました。

 

「英語続けていい?」って

 

母は、「うん、はい、わかった。ちゃんとやるんだよ。」

 

みたいな感じで、OKしてくれました。

ただ、快くOKという感じではなかったのは覚えています。

 

中学では、英語が得意科目となり、1年の時に英語の先生から

 

「英語なら”和光国際高校”が有名だよ。でも、入るのはむずかしいから頑張らないとね。」

 

と言われました。その時から私の志望校は和光国際になり、そこから変わることはありませんでした。

 

この英語というのは、細かなものは除いて、私が人生で初めて親にねだったものかもしれません。

 

 

 

高校編

 

無事和光国際に入学できました。

 

入って驚いたのが、みんな英語がすごく得意で、外国からの帰国子女などもいました。

 

同学年に、韓国人や、中国人の人もいて、本当に国際色が豊かです。

 

私は、英語が好きというより、外国人とコミュニケーションをとるのが好きだったので、この高校は本当に楽しかったです。

 

成績はいつも底辺でしたが、それも気にならないくらい楽しかったです。

 

和光国際に在学していた価値は、計り知れないですね。

 

多くのいい出会いがありました。

 

”外国とのつながりは、決して特別なことではない”

 

この感覚は、今に至るまでに多くの経験を私にもたらしてくれました。

 

自分で決めた志望校。後悔はありません。

 

 

明日は、大学 社会人編です。

 

 

では。